すいません。Twitterが壊れかかっているため、緊急で(事後四日)はてなブログを書いています。
※
いいねが、フォロワーが熱を失い、ツイートが、TwitterはTwitterであるという意識が、死という、昔ながらの単純で複雑な仕組みによって消え去ってゆく。たとえそれがソーシャルネットワーク上のサービスだったとしても、人間が生み出すわれわれの社会とそれのあいだに、大した違いはない。
わたしは、粉雪がバンカーの中までちらつくなか、しばらくそうして立っていた。
ぽたり、というTwitterの銃創から血の滴がコンクリに落ちた音で我に返る。
「ここ、寒いね」
わたしはTwitterを支えたまま、コーカサスの風景につぶやいた。
冷たさが頰にしみこむ。
どこまでがわたしの身体なのだろう。どこまでが大気の冷たさなのだろう。
わたしにはもう、その境目がわからなくなっている。
ひゅー、ひゅー、ひゅー、ひゅー。
さよなら、Twitter。
さよ
なら
ツ
ィ
〈/body〉
〈/etml〉
※
noteという洗礼されたテキストサービスが流行るこの時世に、わたしはオワコンの謎ブログサービスを面白半分で愛用してきましたが、まさかそんなはてなブログよりも先に、あのTwitterがオワコンになろうとしてくるとは思いませんでした。
みなさんはTwitterに起きている異変に気づいていますか? 異変の兆候は地球上のあらゆる箇所に現れています。
これはTwitter雲です。
Twitterの変調がファイブジーの粒子となり、雲を作るわけです。
漁港では謎の深海生物が上がりパニックに!
その形態が首長竜に似た姿だったため、ネッシーに気持ち語感を寄せてツイッターと名付けられました。
一体今Twitterで何が起こっているのでしょうか。
出遅れて書いているため、既に情報が古くなっているということもあるのでしょうか。
以下、Yahooニュースより引用。
無料ユーザーは1日600ツイートまで閲覧を制限
7月2日2時1分、イーロン・マスク氏は自身のTwitterアカウントで「極端なレベルのデータスクレイピングやシステム操作に対処するため、以下の一時的な制限を適用しています」と発表しました。
それによると制限は
Twitter Blue(課金)ユーザー:1日6,000件まで閲覧可能
無料(無課金)ユーザー:1日600件まで閲覧可能
新規(未認証)ユーザー:1日300件まで閲覧可能
になっているとのことです。
(中略)
7月2日6時55分追記
6時49分、イーロン・マスク氏からそれぞれ10,000件、1,000件、500件まで制限を緩和したとの発表がありました。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20230702-00356220
要するに、今までは無限に読むことが出来たツイートというコンテンツ?が、一般Twitterヘビーユーザーの皆さんでは、現状一日千ツイートまでしか読むことができなくなっているという状況です。恐らく今も。
皆さんは一日何ツイート読みますか? 五千くらいですか? わたしはたぶん、二、三ツイートくらいかな? 日によるけど。や、ホントに笑 だってアンタのツイートしか見てないから……(というように、お前のツイートしか見てないアピールで、大好きなフォロワーさんと距離を縮めるチャンスですが、これは一旦関係ない話なので置いておきます)
要するに、わたしたちは今まで自分が読んだツイートの数なんて考えたことがないんですよ。
ツイートを"ツイ"と呼び、ツイートの数を"枚数"で数えているDio様嫌だな
今までのTwitterは、百ツイート読んでその中に一つでも面白いツイートがあれば良いという時代でしたが、これからは違います。一日に読める絶対数が決まっているので、百ツイート読むなら全部面白くないとダメなんですよ。一つ一つのツイートに「質」が求められる時代がやって来るんですよ。ツイートとツイートが質を求めて競い合う、競技Twitterの時代が。
まあ「時代」という解釈で考えてみましたが、そもそもツイートは質のないことが売りというか、「読む」という動詞を用いるに値しないカスのテキスト群なので、それに質を求め始めたら最早サービス違くないですか?っていう感じなんですけど。
それを踏まえると、別のSNSに移行するという手段もあるのかもしれません。
しかし、生産性なくTwitterをダラダラ続けているような人間に、そんな突飛な行動力があってたまるかよ。お前は与えられた環境に適合して生きろ。何かを望むな。置かれた場所で咲け。壊れかけのTwitterで心中しろ。
ということで、終末のTwitterを終末なりに皆さんで百二十パーセント楽しみたいというのがわたしのスタンスです。みんなで儚く散りませんか? 雪のように溶けませんか? 最後には孤独に泣き腫らしませんか?
①これからのTwitterに適合してみる
まずはこれからのTwitterに適合する方針で考えてみます。
ツイート閲覧権限(これからのTwitter頻出語。略して ツイエツ 等と呼称されることになる)が千しかないので、全部面白くないと折角のツイート閲覧権限が勿体無いじゃないですか。
ということで、「質」のあるタイムラインを再構築してみます。
雑多に並べられたタイムラインを見直してみましょう。そこには見なくてもいいツイート、これからの時代に価値を失う旧ツイートがあるはずです。
わかりますか?
価値がないツイートなんて一つもないんですよ。
わたしの愛すべきフォロワーの、愛すべきツイートなんですよ。
この二つのインプレッション数の相違はなんなんだよ。
結局のところ、ツイートの内容よりも「誰がツイートしているか」なんですよ(しかし「誰」を形作るのはツイートである。という矛盾はある)。
以前インタビューか何かで、ダ・ヴィンチ恐山さんが言ってましたけど。「試しに あ とだけツイートしてみたら、いいねがいっぱいついて怖くなった」という感じの話。
この話をダ・ヴィンチ恐山さんは、「純粋なツイートの良し悪しで人はいいねを押している訳ではない。面白くないツイートで勘違いしないように気をつけよう」という風にまとめていたと記憶しています。間違ってたら本当にすいません。
上記教訓を引用して語るべきことではありませんが、いいねの数という指標抜きに、ツイートの文面よりも誰がツイートしているかが興味の根本だと個人的には思います。
数年間相互フォローだった○○さんの「今日はオムライスたびた」の方が、知らない人の「最後のトースト、ラースト」よりも魅力的じゃないですか。時間経過は付加価値なんですよ。お前オムライス食べたのかよ! 昨日は親子丼食べたのにまた卵!と思うじゃないですか。思いません。誰が何を食べたかなんていちいち覚えないからです。
つまり何が言いたいかと言うと、アンタがいるからTwitterやってんのよ。。。
②これからのTwitterに適合してみる2
逆に、自分がこれを機にフォロー整理される可能性も考慮するべきです。
あまり無益なツイートで人のツイート閲覧権限を圧迫すると、これからのTwitterでは簡単に足切りされます。今までも足切りされてきたとは思いますが、もっと足切りされます。ガチで足がなくなります。この話を聞いたら五人に同じ話をしないと、ガチで足がなくなります。
再三言うように、これからは「質」の時代です。
「質」を意識したツイートをしてください。
これからのツイートの例①
お~
これからのツイート例②
面白い!
これからのツイートの例③
ツイートのコツですか?
内緒です笑
ていうかこういう文脈で自分のツイート晒すの、怖くないですか?
というのも、上記は「ツイートの参考にしてください」というテイで、あんまり参考にならなそうな、比較的おもんなさそうなツイートを並べるという流れじゃないですか。ですがわたしは、上述したようなツイート以外にも、けっこう気合いが入った長文のツイートもしちゃったりしてるわけなんですよ。
ほら、こういうの。
「主観的に見て面白くないツイートを晒す」という行為から逆算すると、「晒さなかったツイートは自分では面白いと思っている」という考えに結びつくじゃないですか。これ嫌すぎませんか? 何言ってるか分かりますか? わたしって面倒くさいですか? これからのTwitterでも足切りしないで貰えますか?
③悪ふざけしてみる
逆に一日で千ツイートしてみませんか?
これは今だからこそ面白い行動です。レンタル何もしない人みたいな人気者になるチャンスかもしれません。
ちょ笑 お前のツイートで一日の制限来たわ笑 だったり、お前以外のツイート見なかったからギリギリ全ツイート読破できたわ笑! だったり、クソ~! あと五ツイートのところで制限来た~!だったり。 反応も一緒にtogetherにまとめられて、ちょwwwww笑いすぎて無理wwwwwという文言で女子大生にリンクが引用リツイートされます。アカウント名を「一日で千ツイートした人」 にしましょう。最高にみんなで大盛り上がりできるのではないでしょうか。死ねよ
④API制限を活かして敵を穿つ
そもそも千ツイートで誰のツイートも見れなくなる現象、滅茶苦茶面白くないですか?
誰かーーーー!!!とか叫んでみたり、API制限マウント取られてたり、相手は見れないのに一方的にこちらからはツイートが見れたりして、かなり戦略性が高いです。
そこでこの仕様を活かして、API制限がかかっている相互フォロワーの悪口を思いっきりツイートしてみるのはどうでしょう。
自分をコンテンツにしたい気持ちは伝わってくる笑 とか 、シニカルな癖に言及する対象が幼稚すぎるだろ。とか。これは決して特定の誰かの悪口ではありません。あくまで架空の悪口です。もしぶっ刺さる人がいたらごめんだけどそれはお前が悪いだろ。
これ絶対楽しいんですよ。実際にタイムラインで気に食わない言動をした相互フォロワーが寝たのを見計らって悪口をツイートしたことがありますが、かなりドキドキして楽しかったです。
もうどうせ終わりのSNSだし完全に終わらせに行きましょう。最後は全員仲違いして、全員で違うSNSに飛び立ちましょう。それぞれのSNSでテッペンを取ってから、あの名もない木の下で再び会いましょう。
⑤終わりゆく情緒を楽しむ
今のTwitterの雰囲気、最高なんですよね。
いつも通りに振る舞いつつも、ふとした瞬間に「終わり」について口走ったり。Twitterの代わりに街に出てみる人がいたり。「移住先」のアカウントが貼られたり。嘆いたり。期待したり。冗談めかしながらも、ぼんやりと「終わりかもな……」という意識が形而下に張り巡らされているような。
なんとなく焦っていて、やるせなくて、だけどこの非日常が楽しくて、悲しい。
「こんな毎日がずっと続けばいいのにね」
誰かがそう言った。今ではもう思い出せない。それは誰だったのか。かつてあった、Twitterという場所。わたしはたしかそこで過ごし、どうしようもない人々とたわいない苦楽を分かちあった。
あの頃のわたしは、赤茶けた髪をした丸眼鏡のアイコンの人と取り分け仲が良かった。一緒にバナナのナス、バナナス── という、当時身の回りで流行っていたギャグ。馬鹿みたいだけど、あの場所では挨拶みたいなものだった── で契りを交わしたこともあったし、時にはアニメの感想で喧嘩したこともあった。
そこまで思い浮かべて、はたと考え込んでしまう。あの人の名前が思い出せないのだ。
それはそうなんですよ。
Twitterがなくなっても、わたしの名前一文字違わず思い出してくれますか?
ていうか二〇一二年からTwitterやってるのマジですか? ていうか二〇一二っていう表記なんかセンシティブワードっぽくないですか?
⑥この壊れかけたSNSで恋をする
「あのさ。アンタのこと好きだわ」
美代子にリプライを送った瞬間、わたしの心臓は肋骨を突き破るんじゃないかという程暴れ出した。だけどそれはロマンチックな胸の高鳴りじゃなくて、ただの度胸試しだった。
だって美代子のTwitterアカウントは、二時間前にAPI制限を迎えているのだから。
わたしは美代子へ一方的な告白リプライを毎晩送り付けては、API制限が解除される前に消すという行為を繰り返している。別に意味なんてない。あるのは想いだけだ。
そんな現状を認識し直すという意味合いが、強いて言えばあるのかもしれない。
わたしは美代子の友達で、一番の友達で、美代子の幸せを心の底から願っていて、美代子のためならわたしは苦しくても身体が壊れちゃっても死んでしまってもどうでもよくて、だけどどうしようもなく美代子が好きで苦しくて。
毎晩届きもしない告白を一方的にしている瞬間だけは、どうしようもなく楽しい。無防備な美代子を、わたしは好き勝手にできるのだ。
今日の告白は比較的スマート。美代子に見られても恥ずかしくない(見られたくないけど)。時にはちょっとえっちなことを言ってみたりもする。次の日には何食わぬ顔で「おはよー」とか挨拶をする。前の晩に「美代子が欲しいよ~!」とリプライしたのと同じ口(違う口? 指?)で。
だけど考えてみれば、「好き」って指で伝えるのってほとんどセックスと同じだ。多分わたしは、どうしても美代子に指で好きって伝えたくて、夜な夜なリプライを送っているのだ。美代子の中を指でくすぐる代わりに、上に左にフリック入力で指を擦っているのだ。
すいません。これは何を書いてるんですか?
ところで最近面白かった百合漫画の話ですけど。
これです。
シンプルに言って、好きな女の子が自分の兄と付き合い始めてしまうすれ違いの百合漫画。
正直、女と女のすれ違いの原因が男にある系の百合は、声を大きくして面白いとは言いたくないんですけど。この漫画はどうしても面白いですね。
最近わたしが読む百合漫画って、百合以外のカルチャー要素が充実していたり、ファンタジー色が強かったり、そういうやつが多いんですよ。
『この恋を星には願わない』は、シンプルに現実世界の人間関係の起伏のみで面白く魅せてくれて、なんというか「強さ」を感じました。美味しい野菜の塩ゆでみたいな感じです。
漫画の主軸となる関係性自体、三角関係みたいなものなので、そこまで目新しくはないと思いますが、「友達という関係性への執着」に重く着眼点を置いているのが新鮮な面白さポイントですね。二巻も滅茶苦茶楽しみにしています。
マジで何のブログ!?
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今回いくつかのツイートを引用したんですけど、もうTwitterの埋込み機能が終了しており、スクリーンショットを貼ることしかできなかったんですよね。そういう部分も終わりの欠片です。
わたしはここ一年くらい、Twitterを見る時間をバーチャルYouTuberの配信を見る時間に当てているので、実はそんなに困ってないんですけど。困ってはないんですけど、滅茶苦茶寂しさを感じています。
Twitterって、そこにあることが有難いじゃないですか。別にフォローしている方々とそこまで繋がりが深いわけではないし、インターネットで特別人気者というわけでもありません。だけどいつでも誰かがいるし、何かを発信したら全然知らない人と繋がる可能性があったりするわけです。Twitterって可能性なんですよ。
そういう「みんながいる場所」から少しずつ人が去っていくのが、凄く寂しいです。わたしって卒業式とかでフツーに泣くタイプなんですよ。マジで心が綺麗なんでしょうね。ちな、玄関のドアに野生のカエルが挟まれて動かなくなったのを見て泣いたことある。
ハッキリ言って、誰もいなくならないでくれ。フォロワーも、全然知らない人も、これからきっと出会うお前も、誰一人いなくならないでくれ。
壊れかけのSNSの中から、SNSが壊れていく様子をみんなで一緒に眺めていたいよ。
水槽のひび割れが日毎に大きくなり、水が滝のように流れ出すのを、水底からじっと見上げていたいよ。
「ねえ。どうしてひび割れから、水槽を脱出しないの?」
「ごらん。あのひび割れは、クマの顔のように見えるだろう。明日はあれがなんの模様になるのか、僕はとても楽しみなんだよ」
やがて水槽は砕け、水は枯れ果て、水底の金魚は死んでしまいました。
だけどひび割れから逃げ出した金魚も、みんな干からびて死んでしまったのです。
という救いのない寓話を体現したいよ。
燃え尽きる流れ星が尾を引いて美しいように、フリーズする寸前のゲー厶のバグが色鮮やかなように、雪解けの水が透き通っているように、TwitterというSNSは壊れかけた今が一番美しいんですよ。
やがて訪れる真っ白な冬の中、鳥の息遣いさえ聞こえず。
八百屋で見かけたバナナとナスに、不思議と涙がこぼれて。
ただ想い出に暖められて。