『りゅうおうのおしごと!』3話「研修会試験」を見た直後に、感動でこれを書いています。
『りゅうおうのおしごと!』3話「研修会試験」を見た僕は、本気で泣いてしまった。
『りゅうおうのおしごと』3話を見た日、生まれてから一番泣いた
— *♡೫̥͙*:・紗々・:* ೫̥͙♡* (@sasatanwwwww) 2018年1月24日
産声の比ではない。
なんで泣いているのか理路整然と書くのが難しいのですが、つまるところ涙を流すというのは何かが心に響いた証です。
『りゅうおうのおしごと!』3話が心に響いた。
その「響き」を、なんとか整理して書きたい。
言っておくと、今回はマジです。
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・「女流棋士の地位は非常に不安定とか」
2話の終盤、雛鶴あいちゃんの親御さんが、九頭龍りゅうおうの元にやってきて、娘がプロ棋士を目指すことに反対しました。
勝手に家を出て行った雛鶴あいちゃんですから、当然親が納得するわけないですし、「あいちゃんが全勝できたらプロ棋士を目指して良い」 という流れも、「そういう展開ね」と笑って見ていました。「頭の硬い親を、凄い将棋で分からせる」展開。
将棋や親の部分を他のものに置き換えて、様々な物語で見てきた気がします。
しかし僕はこの2話の時点で、「アニメっぽい展開」の上っ面を舐めているに過ぎず、裏に潜んでいる「現実」を考えることが出来ていませんでした。
あいちゃんのお母様は言いました。
「女流棋士の地位は非常に不安定とか」
そこで九頭龍りゅうおうは「あいさんには圧倒的な才能があるので、間違いなくタイトルホルダーになれる」と説明し、未来に心配は必要ないと説きます。
しかしそれを聞いてなお、お母さんは食い下がります。「これまでに弟子を育てたことはありますか」「先生は、本当に娘を女流タイトルホルダーにまで育てることができますか」
それから紆余曲折あっての、「試験で全勝したら認めましょう」の言葉。
ここで一貫しているのは、当然ですがお母様の「娘を想う気持ち」です。流れが見えている視聴者的には、「頭の硬い親を分からせてやれ!」という気持ちですが、冷静に考えて、お母様が言っているのは至極真っ当なことなのです。
雛鶴あいちゃん、9歳。
まだ産まれてから一桁の時分、皆さんは何をしていましたか?
僕は当時読書に夢中だったので、『ダレン・シャン』とか『バーティミアス』とか『セブンスタワー』とかを読んでいました。当然『デルトラクエスト』も『ハリーポッター』もね。
お気に入りは『バーティミアス』です
オタクの皆さんにおかれましても、「ゲーム」か「読書」か「お絵描き」だと思います。
中には、将棋をしていたオタクもいるかもしれません。「実質姫鶴あいちゃんなんだが」とか言っているオタクが、多分Twitterにいる気がします。
しかし、姫鶴あいちゃんの将棋とオタクの将棋とでは、全くワケが違います。
だって、9歳でりゅうおうに弟子入りして、女流棋士を目指すって、これから先の人生が、9歳の時点で決まってしまうということじゃないですか。
僕は「やりたいことを探す」という気持ちで、大学にまで通って未来を先延ばしにしているのに、姫鶴あいちゃんは、今後何年続くか分からない人生のレールを、たった9歳で、敷こうとしているんです。たったの9歳で。
(画像は9歳よりも幼いシャロちゃんと千夜ちゃんです)
これには親御さん、反対して当然です。
姫鶴あいちゃんは『どうぶつの森』の村の名前を決める感覚で、"したいよう"に"している"だけかもしれませんが、そうやって決めてしまった人生と、生きている限り向き合い続けなければなりません。
僕が小学生の頃に名付けた「ときオカ村」(当時、『ゼルダの伝説時のオカリナ』が本当に好きだった)だって、今見ると「何」と思います。
明日にでも変わるかもしれない9歳の幼心には、そういうリスクだってあるのです。
その上、たとえ変わらなかったとして、待っているのは強固な石橋ではありません。
ボロボロの吊り橋なのです。
親御さんがストッパーにならなければ、姫鶴あいちゃんは1人でどこまでも行って、手遅れになってから後悔するかもしれません。
お母様の執拗なまでに冷ややかな姿勢も、至極真っ当で大切なことなのです。「全勝」くらいできなくては、娘に吊り橋を渡らせたくないのです。
ここまで普通に考えたら分かる事なのですが、僕は全く分かっていませんでした。アニメへの「慣れ」が、「アニメ内の常識」を作り上げて「現実」をどこかにやってしまうのです。
・「あいのために、人生かける覚悟がありますか」
上記の現実にようやく気づいたのが、3話。
なんで突然そんなことに気づいたのか忘れましたが、お母様の現実を見据える視線が、僕にも現実を見せたのかも知れません。
あるいは、雛鶴あいちゃんの読みの深さが、僕にも影響を与えたのかも知れません。
紆余曲折あって、予定調和的にお母様が「雛鶴あいちゃんの弟子入り」を認めた3話。
最後にお母様は言います。
「もしもあいが中学を卒業するまでに女流タイトルを取れなかったら、先生にはウチに婿入りしてもらいます」
この展開の、現実とアニメ的常識の入り交じり具合、伝わりますか?
小学生に婿入りという字面は、如何にもアニメですし、先生の年収を聞くなどの行為も相まって、ギャグめいて見えました。
しかしそこに宿る圧倒的な現実感。
不安定な地位たる女流棋士を目指し続けたとして、雛鶴あいちゃんの未来はほぼ暗闇です。将棋にかまけて勉学も疎かにするでしょうから、人生は穴だらけになります。
しかもこの場面、九頭龍りゅうおうの方から
「あいさんを弟子に取らせてください」とお願いしているのです。
つまり、雛鶴あいちゃんを、暗闇へと誘っているのです。
それならば当然、穴に落ちれば結婚してでも、弟子の人生の責任をとるのが男の矜恃。何も突拍子な話ではありません。
お母様がはしたなく年収を聞いたのも、九頭龍りゅうおうに責任を取るだけの度量があるかを判断するには、当然の行いです。
また、「中学生までに」という年齢制限も現実をよく見据えたところ。中学生ならまだ若さ半ば、挽回が効きそうな気がします。(具体的な人生設計が分からないので、曖昧なことを言っています)
極めつけは、最後の最後のお母様の一言。
「あいのために、人生をかける覚悟がありますか」
これがずっしりとくる、本当にいい台詞。
全部伝わってくる。
雛鶴あいちゃん9歳を弟子にとるということは、その人の未来を預かるも同然。相手の人生を、全部背負う覚悟が必要なのです。
10000通り以上ある雛鶴あいちゃんの未来、可能性を全部むしり取って「将棋」にするのですから、むしろ九頭龍りゅうおうの人生1つでは足りないくらいです。
それをお母様は、雛鶴あいちゃんの気持ちと、九頭龍りゅうおうの気持ち、自分の気持ち、夢、現実、と全てを天秤にかけて、結果雛鶴あいちゃんの弟子入りを許しました。
現実的に考えて最善の予防線を張って、なおかつ、娘の背中を押したんですよ。
これ以上の落とし所、ありますか?
本当に完璧な結末です。本当に最高のお母様です。
個人的には、雛鶴あいちゃんが家を出る前の晩の、お母様の表情が見たいと思いました。
きっと最愛の娘の前では少しも顔を歪めずにいて、晩御飯には大好きな蟹をいっぱい用意して、そっと娘の旅立ちを見守った後で、たくさん泣いていると思います。
可愛い盛りの娘さんと離れるのは、親御さんにとって早すぎる別れです。
全然いい親子のカットがないので、これになりました。
僕の胸を打ったのが、この一連の圧倒的な、そこにある現実。ご両親の雛鶴あいちゃんを想う気持ち、横たわる現実、雛鶴あいちゃんの気持ち、9歳でこれからの人生を決めてしまう現実、九頭龍りゅうおうの気持ち、見えている夢。
これら全部に気づいた途端、一斉に殴られて、胸がいっぱいになってダメでした。
時間を止めてえっちなことをして、時間が動き出すとともに蓄積された感覚が押し寄せるタイプのエロ漫画と同じことが、感動になって僕の身に起こりました。
『りゅうおうのおしごと!』、凄すぎです。
※追記※
肝心なことを書き忘れていたので、ここにちょっと書いておきますが、雛鶴あいちゃんの「諦めない心の頑張り」が良かったのは言うまでもありません。
その場面がトリガーとなって、様々なことに想いを馳せた気もします。
感動が感動を呼ぶ、感動の連鎖。
「言うまでもありません」と書いたので、もう言わなくていいよね。寝かせてくれ。
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これは反省なのですが、僕は今回の一件で、アニメのパターンに嵌められて現実が見えていないことを思い知らされました。
「幼女」とか「日常系」とか「異世界モノ」とか、全部を既存の「お約束」に括って、そこにある大切なモノを見落としていました。
それを『りゅうおうのおしごと!』が気づかせてくれたのは、多分偶然で、恐らくアニメというのは似ているようで全部違って、それぞれに特有の「現実」が宿っているんだと思います。
それでも僕にとっての『りゅうおうのおしごと!』が、記念すべきアニメであることに違いありません。ありがとう、『りゅうおうのおしごと!』。
ところで社会人1年目の僕は、未だに人生が定まっていません。今年で会社を辞めるとして、どうしようか考えています。
雛鶴あいちゃんは9歳なのに偉いね。
偉いよ
~fin~