『こみっくがーるず』11話、萌田薫子さんこと女子高生漫画家かおす先生の誌面掲載が!ついに!決まりました!
おめでとうございます!!
今後とも繁栄と躍進を心より願っています。
ここのところお仕事が忙しく、『こみっくがーるず』の放送時間に帰宅が間に合わないため、まだ11話しか見れてません。
Twitterで最終話についての記述も目にする中で、11話について書き連ねることをご了承ください。
これはご了承を請う場面で使えそうだと思っていた、かおす先生の画像です。
11話において、担当編集の編沢まゆさんが言っていた台詞、「自然体のかおす先生らしさが出ていると思います」。
この「かおす先生らしさ」というのが、僕の認識していた「かおす先生らしさ」とは異なっていたので、違和感を覚えました。
かおす先生らしさって何。
「魔眼…あるんじゃないんですか」の場面、かおす先生の意外性があって本当に好きです。
なお、この記事で触れる「かおす先生らしさ」とは、かおす先生の"人格"についてではなく、「かおす先生の描く漫画」についての「かおす先生らしさ」、かおす先生の漫画における持ち味です。
作中の文脈的に、漫画のことを指した「かおす先生らしさが出ている」という台詞だったからです。
ちなみに、「なお、この記事で触れる~」から「~台詞だったからです」の部分は、終盤で覆るので覚えておいてください。
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世界の終わり編
『こみっくがーるず』1話「アンケート ビリですか!?」における、担当編集編沢まゆさんのかおす先生の評。
「この子はメンタルが弱すぎる。でも独特のセンスはある。だけど1人じゃ続けられない」
『こみっくがーるず』8話「わんにゃんにゃんわんまつり」における、かおす先生の漫画についての手がかり。
「まゆの漫画面白い。本人の意図しないところで笑えるよね」
「なんか、かおすちゃんの漫画と似てる?」
この2つのエピソードを踏まえて僕が認識したかおす先生の漫画の持ち味は、「よく分からないけどシュールで笑える」。
『彼岸島』のような天然で変に笑ってしまう作品、あるいは『孤独のグルメ』のような独特の魅力がある作品、だと考えていました。
(参考画像:『彼岸島』)
しかし、11話で編沢まゆさんが「かおす先生らしい」と称した漫画は全く違います。
それは、女子高生4人が仲良くふわふわした日々を送る、所謂みなさんが言うところの日常系作品。
右のクレープを食べるくだりと、左の水着のくだりの脈絡が読めませんが、確かにこれはふわふわしそうです。
以下、編沢さんの評価を書き起こします。
登場人物が凄くイキイキしていて、何よりかわいい。
余計な設定や小細工がなくて読みやすい。
力が抜けて、自然体のかおす先生らしさが出てる。
「かおす先生らしさ」ねえ……。
かおす先生の同人時代のファンからすると、こちらの方がかおす先生らしい作品なのでは?と思ってしまいます。(かおす先生の同人時代からのファンではない)
ですが、かおす先生のことを見守り続けてきた編沢まゆさんが、「この漫画がかおす先生らしい」と言うのです。間違った認識をしているのは絶対に僕の方なのです。
「3ヶ月『こみっくがーるず』を見た程度で、かおす先生のことを分かった気になるなんて。本当にオタクはバカでマヌケですね」と、編沢まゆさんにかおす先生の彼女面をされてしまいました。
「じゃあ、編沢まゆさんの考えるかおす先生らしさって何なんだよ」
僕がムキになって言うと、彼女はため息をついて懐から拳銃を取り出します。
「それを考えるのがあなたの仕事です」
太陽が西にどっぷりと沈み込む寸前に、世界を赤く染め上げる。僕達は夕陽に包まれて短く言葉を交わした。
「かおす先生のことを本当に分かっているのは僕だけだ」
「ですからもっともっと、よく考えてください。『こみっくがーるず』と真面目に向き合って。さよなら」
編沢まゆさんがきゅっと引き金を握りしめる。鉛玉は勢いよく飛び出して僕の頭を貫いた。人生の最後に交わした言葉が、『こみっくがーるず』についてで本当に良かったと、切実に思う。
それでは新世界創造編に突入します。
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新世界創造編
左が『こみっくがーるず』3話時点でのかおす先生の漫画。
右が『こみっくがーるず』11話時点でのかおす先生の漫画。
とても雑なコラージュで申し訳ないのですが、その成長が見て取れると思います。
天丼だった構図が改善して画力も上がり、本当にいい漫画になりました。漫画について詳しくないので偉そうなことは言えないですが…
ちなみにこれは、koi先生の描くクレープを食べようとする女子高生です。
かおす先生には、作中で指摘された欠点がいくつもありました。
・絵が下手
・キャラが萌えない
・ストーリーがつまらない
・女子高生にリアリティがなさすぎる
……
まだまだありますが、1話の冒頭ではこれらが耳に残りました。
欠点は大きく分けると2つに分類できます。
・技術問題
(絵が下手、話の作りが下手、キャラが萌えない)
・経験問題
(リアリティがない)
これらをかおす先生は頑張って改善していきます。偉い。
尊い;;
しかし、努力で改善できるのは技術問題のみです。
「リアリティのなさ」に関しては、4人で過ごす日々の中で、経験を重ねて少しずつ培われていきます。
これはかおす先生の長所なのですが、インプットおよびアウトプットがとても素直です。
例えばクレープを食べたらクレープを食べた感動をすぐに漫画にしてしまいますし、体育のあとにスポーツ漫画を描いているシーンもありました。
(4話「くんずほぐれつランデヴー」のダイジェストシーンより)
「猫とか虫しか話し相手のいないかおす先生は、人と話した方がいい」という理由で、入寮を勧めた編沢まゆさん、本当に出来る編集さんだと思います。
かおす先生は日々の生活から、みるみる女子高生らしさを吸収していきます。
画力とリアリティ。
この二つを手に入れたかおす先生は、完璧な女子高生生活漫画を描きあげました。
そこに、変な面白さはありません。
「かおすちゃんの漫画に似てる」編沢まゆさんの漫画にはあった、
こういう本人の意図しないところで笑える箇所は皆無です。だってこれは、リアリティの無さからくる欠点ですよね。
つまり、僕の認識していた「かおす先生らしさ」というのは、改善されるべき欠点だった、という話なのです。
「独特のセンス」も、「作者が意図しないところで笑える」のも、かおす先生の経験のなさ故の常識?のズレから生じてくる問題。
では、これとは別に「かおす先生らしさ」があるのでしょうか。
欠点も立派な個性です。ですが、その欠点が改善されるということは、個性が消失するも同義なのでしょうか。
完成した漫画に、「かおす先生らしさ」は残っているのでしょうか。
かおす先生らしさってなんだ?
「もっともっと、よく考えてください。真面目に『こみっくがーるず』と向き合って」
編沢まゆさんは言います。
だけど僕にはかおす先生らしさが、なんだか分からなくなってきました。
「もっともっと、よく考えてください。真面目に『こみっくがーるず』と向き合って」
僕には分からない。何も分からない。
気がつくと辺りは夜の闇に包まれて、撃たれたはずの僕は芝生で横になっていた。
割れるような音が鳴り、星がひとつ消える。
「もっともっと、よく考えてください。真面目に『こみっくがーるず』と向き合って」
僕は分からない。『こみっくがーるず』が何か分からない。
音が鳴り、また星がひとつ消える。
「もっともっと、よく考えてください。真面目に『こみっくがーるず』と向き合って」
僕はいよいよ泣き出してしまう。頬を伝う涙も、流れた傍から音を立てて消えていく。
星がひとつ消える。またひとつ。もうひとつ。やがて世界は真っ暗で、僕も編沢まゆさんもいなくなる。
それでも柔らかな芝生はたしかに背中をくすぐり、夜の闇は暖かい。編沢まゆさんの言葉がうっすらと光る。
「もっとよく考えて。あなたは最初から間違っているのです」
次章、完結です。
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還ろう旧世界編
結論から言って、僕たち視聴者には提示されている原稿の数が少なすぎて、かおす先生の描く漫画における、「かおす先生らしさ」を見出すことが極めて難しい。かと言えば、そんなわけはなく、全く結論から言ってませんでした。
前章で、 「かおす先生はインプットとアウトプットがとても素直」と書きました。
かおす先生は経験したことをそのまま書き上げるのです。
そんなかおす先生が書き上げた漫画
『コミックガールズ』
これが出来るの、当たり前じゃないですか。
素直なかおす先生だから、『こみっくがーるず』のような生活を送れば、極めて『こみっくがーるず』的な『コミックガールズ』が出来上がるのは当然です。
つまり、出来上がった漫画にはかおす先生の生活が如実に反映されているわけで、僕達は『こみっくがーるず』を視聴することで、「かおす先生らしさ」を逆算することが出来るのです。
原稿を見ても分かります。
小夢ちゃん、琉姫ちゃん、翼ちゃん、自分の4人をモチーフにしたキャラクターを描いて、かおす先生が体験したことを、そのまま書き起こした、ほとんどエッセイみたいな内容になっています。
クレープの大きさ、とろけるような舌触り、波飛沫のきらめき、潮風の匂い、4人の個性的なキャラクター。それらは全部かおす先生が自身で経験した、かおす先生自身の感動、かおす先生のクオリア、圧倒的な「かおす先生らしさ」なのです。
最初から「漫画におけるかおす先生の持ち味」と「かおす先生の人格」を分けて考えるから分からなくなるのであって、『コミックガールズ』において、漫画と人格は同一でした。
編沢まゆさんの言った「かおす先生らしさ」とは、かおす先生の全てを包括した言葉でした。
かおす先生にしか描けない『コミックガールズ』。
こんなの「かおす先生らしい」以外に言葉があるわけがない。
たどり着いてみれば簡単なことなのに、僕はこの結論にたどり着くまで5時間くらい考え込んでいるわけです。分かって嬉しかったから書き残しておきます。
きっと、『コミックガールズ』内で描かれるかおす先生は、明るい笑顔で友達と仲良く過ごすかわいい女子高生だと思います。
僕たちの見てきたかおす先生とは、ちょっと違うかも知れません。
でもそれは嘘をついているわけじゃない。
かおす先生がこの一年間で成長した証。
明るい笑顔で友達と仲良く過ごすかおす先生だからこそ描ける、今のかおす先生の姿です。
かおす先生は偉い。偉くて凄い。
ですが、かおす先生が手の届かないところに行ってしまうようで寂しくもあります。
「その寂しさは、足を引っ張りたい気持ちです」
編沢まゆさんは言います。
「あなたは頑張るけど報われない、頑張ろうとするけどアニメを見てしまうかおす先生が好きなんでしょう」
僕は何も言うことが出来ない。
「あなたは不幸で報われないかおす先生のことが好きなんでしょう」
僕は何も言うことが出来ない。
「あなたも何か、頑張ってみたらどうですか」
僕は何も言うことが出来ない。
「せめて、仕事を辞めても自殺しないで、生きることくらいは頑張った方がいいと思いますが」
僕は……