おいしいそうなケーキ

「おいしそう」にしたつもりが「おいしいそう」だった

煙草売りの女子高生

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  とある春先の新宿駅西口。
  雨がすらすら降りてくる肌寒い夜のことでした。
  「煙草はいりませんか。煙草はいりませんか」
  漆黒のセーラー服に身を通した少女が、傘もささずに雨に濡れています。脇には顔ほどもある籠を抱えており、その中には白くて細い、棒付きキャンディーからキャンディーを取ったような何かが詰め込まれていました。
「煙草はいりませんか。煙草はいりませんか」
  それは少女の言う通り、紛うことなき煙草でした。それを売ることが少女の仕事なのです。
  「煙草はいりませんか。煙草はいりませんか」
  色とりどりの傘たちが駅前を滑ります。
  ですが細い声は雨に溶け込んでアスファルトに消え、誰1人として少女を気に止めません。
「煙草はいりませんか。煙草はいりませんか」
  それでもセーラー服の少女は声を漏らし続けます。
  その声は誰に呼びかけるともなく、本当に独り言のように漏らされるだけのただの音なのでした。




  成すべきことは怒りをもって遂げられる。

  男はそう信じて、いつでも怒りをその身に蓄えていました。春先の肌寒い雨の夜もそうです。眉間に深く皺を刻んで逆三角に目を尖らせて、胸の奥には憤りを詰め込んでずんずん歩いていました。
  その男の名を就活太郎と言います。
  就活太郎は自ら進んで憤りを得てはこの世の理不尽を嘆き、己の内にマグマをたぎらせ途方もない怒りをこしらえイライラと肩を揺らすのです。
  放っておけば良いものに好んで近づき、触っては怒り、目については怒ります。それだけに留まらず、彼は無害な偶像にすら怒ることが出来ました。「何故お前は俺を怒らせない」と憤りの皆無に対して怒りをぶつけるそれはほとんど才能でした。四六時中怒りました。
  しかしそれは元を正せば彼の信条が悪いのです。

  成すべきことは怒りをもって遂げられる。

  就活太郎には是が非でも成し遂げたいことがありました。そのためにたくさんの怒りが必要なのです。勿論、この世界には理不尽な怒りなど無しでうまく行くことが多々あるのは言うまでもありませんが、彼の信条では何事も怒りが無ければ始まらないのです。ほとんど宗教のようでもありました。
  そういうわけで、春先の肌寒い雨降りの夜も血眼で怒りの種を探しているのです。
  
  人の多い場所が良い。人はすぐに俺を怒らせる。

  就活太郎にかかれば、満天の星空でも、川のせせらぎでも、桜の甘い香りでも、なんだって怒りを見出すことは容易いのですが、それでも人は格別でした。効率が良いのです。
  石橋を叩いて渡るよりも鉄橋をすらすら渡った方が早いのと同じです。
  人を求めてがむしゃらに歩いた就活太郎は、いつの間にか新宿駅の西口にたどり着いていました。窮屈にうねる人の群れを見て、思わず手に持ったビニール傘をぐるんと回します。それは舌なめずりのようで、涎の如き飛沫が周囲を汚すのでした。

  ※

  ぴしゃりと飛んだ雨粒が、セーラー服少女の頬を打ちました。
  それには気付かず就活太郎は怒りを燃やしています。

「あの男、空き缶を置いていったぞ。駅前はお前のゴミ箱ではない。そら、あの女は傘の位置が低い。見ろ。向かいの傘とぶつかる。迷惑千万だ。と、なんだ今の爺さんは。俺の肩にぶつかった。謝りもしねえ。だが爺さんはまだいい。たった今傘が当たるだけで舌打ちした婆さんがいやがった。舌打ちってのは最低の音だ」

  新宿の就活太郎はふつふつと怒りを沸かせます。順調なのです。怒りが湧くことが嬉しくて仕方ないのです。まだまだ怒ろうと忙しなく身体を揺らします。
「あのOLは香水臭い。そこの観光客はキャリーバッグがゴロゴロうるさい。それでいくと、あそこのガキ共はやたらに騒がしい。折角の雨音が……うん?」
  怒りの途中で、ふと、おぞましいような悲しいような音が雨に紛れていることに気がつきました。
  それは雨に打たれて砕けてしまいそうな儚い音で、どこからか就活太郎の耳をくすぐります。
 ……センカ。
「これは何の音だ」
  一旦怒りを忘れ、辺りに耳を澄ませます。 
  ……リマセンカ。
  どうやら近くで聞こえるのです。近くで聞こえることは分かるのですが、天上天下東西南北、どこで音がしているのか特定できないのです。
  「ええい、どこだ」
  就活太郎は首をぐるぐる回して探します。右を見ると下からのような気がするし、左を見れば上からのような気がするし、下を見れば左からのような気がするのです。さっぱり分かりません。
  だんだんと怒りが思い出されました。寝ている時に耳元で羽虫が飛んでいるのに似て、腹立たしいのです。 
  ……ンカ。
  先ほどは近かったのが、遠くに行ってしまったようにも感じます。音は就活太郎から隠れて逃げているのでしょうか。しかしどうにも耳障りな音です。

  「これはやかましい!」

  とうとう耐えきれなくなり叫び出すと、奇妙な音は声に代わって、鮮明に就活太郎の耳に届きました。細細とした脆いつぶやきです。

「煙草はいりませんか。煙草はいりませんか」

  それは漆黒のセーラー服に身を通した少女の声でした。


「お前はなんだ。やかましいぞ」
「私は煙草売りの女子高生です。煙草はいりませんか」
    煙草売りの女子高生と申し出たセーラー服の少女はしきりに煙草を勧めました。独り言のようではなく、声がしっかりと就活太郎へ向いています。
 しかし籠の中の煙草は奇妙なもので、本来箱に入っているはずの一本一本のそれが皆丁寧に取り出されて籠にぶちまけられ、骨が積み重なっているようにも見えます。
  「煙草売りの女子高生?  しかし傘もささずに突っ立っては売り物の煙草が湿気てしまうじゃないか」
  「私の煙草は湿気りません」
  「湿気らない煙草があるわけない。おまけにそれは箱から外に出ているんだ」
  「いいえ、あるのです。ためしに一つどうですか」
  断っても断ってもあんまりしつこく勧めるので、就活太郎は少女の手から一つ貰います。なるほどたしかに湿気てはいません。鳩の絵と「Peace」の文字が上品な金色刻まれていて、決して滲んではいないのです。
「これはどういうことだ」
「この煙草はただ単に燃えて煙を上げるモノではないということです」
  少女の答えに首を傾げつつも、彼は少し興味を惹かれます。
「Peaceしかその籠にはないのか」
「いえ他にもあります。ですが、あなたにはPeaceがお似合いなのです」
  就活太郎はよく煙草を嗜んでいました。しかし普段はマルボロやらラッキーストライクやら、俗に言う「洋モク」ばかりで、Peaceなんて口にしたことはなかったのです。
「俺は他のがいいんだが」
「いえ、私があなたに渡すのはPeaceだけです」
  煙草売りを名乗っておいて、欲しい煙草を売らないのではただの押し売りじゃないか、と彼は怒りを覚えて悦に入りました。この場合は圧倒的に少女の主張が理不尽なので、怒られても仕方のないことです。
  「お前は煙草を売る気があるのか」
  「あります。それでは70円です」
  「20本460円の品だぞ!暴利にも程がある」
  「ですから、ただの煙草ではないのです。試しにこのライターで火をつけてご覧なさい」
  少女はハートの形をしたライターを手渡しました。
  「このライターも普通ではないのか?」
  「ただ着火するのみのモノではないです」
  就活太郎はしげしげと手元の二つを眺めていたのですが、やがて
  「ままよ」
と意を決してPeaceを口にくわえ、ハートのライターで火をつけました。
  薄暗い雨模様に、かすかな明かりが灯るのでした。


  白い煙がふわふわ立ち昇ります。
  滝が上げる水しぶきのように、勢いの良い雨粒に散らされた滑らかなふわふわです。
  Peaceの匂いは、甘くて少し煙たくて、ホコリのかぶったシャンプーと似ています。
  なるほどたまには甘いのもうまい。就活太郎は一人頷いて、満足げに息を吐きました。
  その表情に怒りは見えません。煙と一緒に吐き出しているのかもしれません。
「しかしこれでは普通のPeaceと変わらない」
「もうすぐですよ。ほら、煙が集まって来たでしょう」
  気がつけば就活太郎のビニール傘の下は煙でいっぱいでした。本当に傘の下のみに煙が集まって、足元から頭まで覆うので、傍から見るとふわふわした鉛筆のようです。
「なんだこれは。前が見えん」
「前を見る必要はないのです。今に始まります」
  煙に覆われて真っ白な就活太郎の視界が徐々に色づき始めます。最初は赤くなりました。そこに青が混じりました。そこに緑も加わりました。赤青緑。赤青緑は細かく別れて煙の上を散り散りに泳ぎました。色という色が目まぐるしく回るので頭がくらくらしてきます。
  「なんだこれは」 
  声を張り上げますが少女からの返答はありません。新宿駅前の人通りなのですから、誰かが煙鉛筆の異変に気づいてもおかしくないと思われるのですが、誰の干渉もなく、ただただ色が煙の上を走り回り就活太郎は目を回しました。
  そうだ目を瞑ればいい。はたと気づいて目を瞑ります。100を数えて目を開けると、そこは新宿ではありませんでした。
  足元には首が転がっています。忌むべき最悪の殺人鬼『人事之助』の首です。地面は血で染まっています。空はどこまでも青く透き通り、夏によく聞く「ブォーブォーホーホー」という鳥の鳴き声が響いています。
  就活太郎は息を飲みました。これは彼が怒りを蓄えて成し遂げようと思っていたそれなのです。これは就活太郎の思い描いた夢なのです。それならばと思い、後ろを振り返ると、人事之助に捕まり1週間後に殺すと宣言されていた最愛の女の子『夢希望子ちゃん』が微笑んでいます。
  就活太郎はあの最悪の殺人鬼『人事之助』
を殺し、攫われた愛しい『夢希望子ちゃん』を救おうとしていたのでした。その崇高にして困難な目的が、煙草売りの女子高生から買った煙草を吸って吐いただけで叶っているのです。
  「なるほどさてはあの煙草、夢を叶える煙草だったのか」
  就活太郎は嬉しくなり、『人事之助』の首を蹴っ飛ばして『夢希望子ちゃん』にキスをしようとしました。が、『夢希望子ちゃん』の頬に手が触れるか触れないかのところで世界が揺らぎ、雨に包まれた新宿が姿を現しました。
「これはどういうことだ!」
  吠える就活太郎の傍らにはセーラー服に身を包む、煙草売りの女子高生がいます。
「これは夢を叶える煙草ではなかったのか」
「これは夢を見せる煙草です」
  少女は濡れそぼった髪の毛の裏で目を光らせます。
  「煙に包まれている間だけ夢を見ることができるのです」
  いつの間にかセーラー服から除く白い手には70円が握られていました。
  「もう一本どうですか。 2本目以降は100円での提供になりますが」
  就活太郎は少し考えました。これまで俺は怒りを蓄えるのみだったが、今のはなかなか良い気分だった。久しぶりに幸福というやつを味わった。心なしか気分が晴れている。もう1度くらい夢を見たって良いではないか。どうせ100円だ。煙草にしては割高だが、100円で夢を見れるのなら安いものだ。
  答えは簡単に出ました。
  「2本目を貰おう」
  「それではPeaceをどうぞ」
  ホコリのかぶったシャンプーの匂いが、ビニール傘の下に立ち込めます。

  ※

  その晩、就活太郎は少女から煙草を買い続けました。煙の中で何度も同じ夢を見ます。転がる首。血。青空。夢希望子ちゃん。
  覚めては吸って、覚めては吐いて、覚めては包まれて。就活太郎は幾度となく煙の中で幻想に思いを馳せました。
  途中で財布からお金がなくなったので、10万円程下ろしてきました。就活太郎は少女にお金を渡した覚えはないのですが、夢から覚めると白い掌に100円が乗っているのです。
  それは不思議なことでしたが、なんと言っても夢が映る魔法の煙草があるのです。財布のお金が少女の掌に移動しているくらいのことは取るに足りません。
  というよりも就活太郎はそんなこと全く頭になく、ただただ空っぽに夢を見ることを楽しんでいたのでした。人事之助の苦痛に歪んだ顔と、夢希望子ちゃんの暖かい身体があればそれで良かったのです。

  いったい何度目の夢から覚めたのでしょう。

  いつの間にやら、穏やかな目尻と上向きの口端が就活太郎に優しい笑顔を作っていました。眉間に寄った皺は伸びてなくなり、小刻みに動いていた肩は落ち着いています。
  「もう一つ買おう」
  「はい。100円です」
  まるで別人でした。
  夢希望子ちゃんを抱き寄せ、人事之助の首に腰をかけて青空を眺め、鳥のさえずりに耳を傾け、風に吹かれて寝転がって、と繰り返す度に、就活太郎はどんどん落ち着いて大人しくなるのです。
  しかし彼はそのことに気がついてはいません。ただ夢を見ることに魅入られていたのです。成すべきことを遂げるためにと蓄えた怒りは徐々に失われ、煙となって立ち上るのでした。
  何百本目かの煙草を就活太郎は咥えます。
  かちり。
  ハートのライターに手をかけて夢を見ようとしました。しかし、さっきまで簡単に浮かんだ炎が、どうにも見えません。
  かちり。かちり。かちり。
  ただ乾いた音が響くのみで、何度やっても火が起こらないのです。
  「どうやらこのライターはオイル切れのようだ」
  ライターを少女に返して言います。風もないのに火がつかなければ、それはオイルが切れた他ないのです。
  「そうですか。では今宵はおしまいですね」
    少女はライターを受け取るとその場を立ち去ろうとしました。ぺこりと頭を下げて、濡れそぼった髪の毛から雫が滴ります。
  「またいつか会う夜もありましょう」
  「ちょっと待ってくれ」
  焦ったのは就活太郎です。浴びるほど見ても見たりない夢です。あっけなくこの機会を手放すわけにはいきませんでした。
  「ライターは一つしかないのか」
  「はい。これっきりです」
  「ではオイルを買ってこよう。コンビニで売っている」
  「いえ、普通のオイルでは火が上がらないのです」
  「ではどのオイルだ。 どこで買えばいい」  
  「売ってはいないのです」  
  少女は歩きだしました。が、その腕が掴まれます。雨に濡れたセーラー服は酷く冷たく、少女の肌にぴたりと張り付いていて、就活太郎は骨をそのまま掴んだような気になりました。
  「なんとかしてくれ」
  「今宵は終わりです」
  「どうしてだ。俺はまだまだ金を出すぞ」
  「火がつかなければそこで終わりです」
  「それならば俺のライターで火をつけよう。だから煙草を売ってくれ」
  「ただのライターでは夢を見れません」
    煙草売りの女子高生の声は、もはや就活太郎に向いてはいませんでした。独り言のように口から漏れて、今にも雨に消えそうです。
  「あのライターは、怒りを燃やしているのです」
  煙が揺らぐように、ふらふらと就活太郎の耳にはそれが聞こえました。危うく聞き逃す手前です。
  「怒りを燃やしてつけた煙草からは夢が立ち上ります」
  「怒りがオイルというわけか」
  「あなたの怒りは尽きました。もう火はつきません」
  それならばと就活太郎は思います。俺がまた怒りを蓄えれば済む話だ。俺は怒ることにかけては天才なのだから。
  手始めに、目の前のセーラー服の少女へ怒ります。 俺が怒りを失うとはどういうことだ。折角蓄えた怒りが集め直しだ。
   しかし上手くいきません。いつでもすぐにこみ上げた怒りが、全くどこにもいないのです。胸の内はどこまでも晴れているのです。
  「何故だ」
  だらしなく開いた口から情けない声がこぼれます。
  「あなたの未来永劫すべての怒りは燃え尽きました。二度と夢を見ることはないでしょう」
   声までも雨に濡れてしまったように、冷たい音をした独り言でした。
 普段であれば、全ての怒りが燃え尽きたことに対して怒ることができそうなものですが、その怒りがないのです。

  成すべきことは怒りをもって遂げられる。

  成すべきことを遂げるための怒りは一夜の夢と共に灰になり、その信念は砕けました。
  蓄えた怒りは夢を見るだけの燃料だったのです。
  力なく項垂れる就活太郎をほどき、煙草売りの女子高生は雨に消えました。
  残された喧騒と優男。
  ぱらぱら音を立てる雨粒が、傘を伝ってじんわりとアスファルトを洗うのでした。

 ポケットから100円のライターを取り出して、最後に買ったPeaceに火をつけます。
  辺りに漂うのはホコリのかぶったシャンプーの匂い。
  怒りを燃やし尽くしたPeaceは正に平和と言う他なく、刻まれた金色の鳩はいつまでも「ブォーブォーホーホー」と声を上げることでしょう。
  白い煙は決して傘の下に留まることはなく、空へ舞い上がって消えました。